店長が行く! 第2回
「子どもの足場をつくること」

菅野幸恵さん(青山学院女子短期大学児童教育学科・発達心理学)

 世田谷パブリックシアターの「中学生のためのワークショップ」は、3月30日の発表会をもって無事終了しました。 ワークショップの成果の一端は、その発表会でご覧いただきましたが、作品作りの過程では何が起こっていたのでしょうか。

 芸団協から4月に出される「芸能と教育ブックレット」vol.4『実践!表現教育-実演家が授業にやってきた-』 (発行:芸団協出版部/発売:丸善出版事業部)に執筆で参加された発達心理学の菅野幸恵さんも、稽古場に遊びに来てくれました。 演劇百貨店の稽古場レポートに代えて、さっそくお話を伺ってみることにしました。

◆ ワークショップの現場には、「ミクロな発達」がたくさんある。

──今日は発達心理学をご専門とされている菅野さんに、発表会直前の大混乱した稽古場の様子を見ていただきました。

菅野:普段はあんまりこれくらいの年齢の子どもたちと関わることは少ないんですが、全員が全員すごく楽しそうだなと思いました。 中学生ってまだまだ素朴な感じでかわいい。 小学生(子ども)をひきずっているところが見られて、いい意味での子どもっぽさが残っている感じがしました。

──思いっきり子どもが「子ども」でいられる場所なのかもしれない。 菅野さん自身は、どんな子どもでしたか。

菅野:いえいえもう、まったく普通の子どもでした。 ただ通っていた中学校は荒れていましたね。 世代的には「校内暴力」が社会問題化した少し後の世代だったので、そういうお兄ちゃん、お姉ちゃんはまだいっぱいいましたね。 だけど、自分がそこから影響を受けたっていう感覚は、あんまりないです。

──菅野さんは、私(柏木)と同世代になりますよね。 僕の通ってた中学校では、廊下をバイクが走ってました(笑)。

菅野:私の学校は自転車が走ってました(笑)。 基本的に、彼らはやさしいんですよね。 先生や権威的な人に対してはワーッとなるけれど、そうじゃない時は、とくに困ったこともなかったです。 授業中、先生が呼び出されていなくなっちゃった時は、ちょっと困ったけど(笑)。

──ところで、菅野さんが研究されている「発達心理学」とはどんなものなんでしょうか。

菅野:人が生をうけて亡くなるまでのすべての過程が、発達心理学の対象領域です(亡くなってからのことを研究されている人もいますが)。 人の発達の各段階でどんな特徴があるか、その特徴はどんな風に変化する(形成される)のか、変化のあり方の多様性を見ていきます(詳しくは、芸団協から出たブックレットを参照してください)。 実際の研究では発達の各時点での特徴をみつけて、それらをつなぎ合わせていくことになることが多いです。

 また発達心理学で扱うのは、なにも大きな時間の流れだけではなくて、例えばお母さんと子どものやりとりや、教室での先生と生徒のやりとりのなかで発達がどんな風に起こっているのかというかなりミクロな時間の流れもみていきます。

 ですから、大勢の参加者がいる場でも一人一人の人(子ども)を追って行けば、そこでの変化(発達)が見られると思います。 長いスパンでなくても、例えば今回の十五日間のワークショップでも、変化はあると思います。 微視的なところですごい発達が見られそうだ、というとちょっと変な言い方ですが、ミクロな発達があの場にあるのかな、という感じがします。

◆ 大人スタッフと、子どもたち。見えないけど線は引かれてる。

発表会風景1

──このワークショップには、17人の子どもの参加者とほぼ同数の大人スタッフが関わっています。 非常に多数の大人がいる、といってもおかしくないんだと思いますが。

菅野:あまり多すぎる感じがしない。 不思議ですよね。 この現場で大人と子どもが見た感じ対等な関係を作っているからなんでしょうね。 学校場面のように大人と子どもの間の線引きがきっちりされてないというか。

 もちろん、まったくの対等ではないからこそあの場が成立していると思います。 心理学だと大人と子どもの関係を非対称な関係ということがあります。 大人の方がやっぱりいろいろ知っているし、小さい子よりは言葉も自由に話せるからですが、このワークショップを考えた時にその「大人」の存在を抜きにして語ることはできないでしょう。

 大人たちが、うまく子どもたちの考えをリードしていくことができている。 スタッフが、自分たちの役割をうまく飲み込んでそれをうまく果たしている感じがしました。 つまり、子どもたち自身が自分の思ったことをうまくみんなに伝えられないとき、大人がそれを翻訳する、といった部分ですね。

 具体的にいうと、今日、子ども一人一人がオリジナルのポーズを作っ て、出来上がった時点でみんなに発表する、というプログラムがありましたよね。 あの発表のときに、たまたま無理な体勢をとったひとりの子が、自分のポーズをとったあと、尻餅をついて転んでしまいました。

 みんなはあのとき笑ったけれど、すぐさま柏木さんは「今はこけるところまでの発表だったけど、本当は、こけるのは入ってないんじゃないの?」と本人に確認をし、フォローしていました。

──僕、そんなことしてましたっけ? 無意識のうちにやってたな。

菅野:あと各グループに分かれてシーン作りをしているときの会話を聞くと、アイデアを出し合うときには大人と子どもは対等な感じなのですが、子どもが混乱して、この作品の場面づくりをどうしたらいいか迷った時に、 大人は対等な関係で話をするというよりは、ちょっと提案モードというか、違う声で「こうした方が面白いかもね」というような、評価的なことをちりばめていたり、さりげなく場をコーディネートするようなことを言っているんですよね。

 教育場面の会話分析をみても、学校の先生もずっと一本調子で話を進めているわけではなくて、ときたま脱線してしゃべってみて(つまり教師モードを外れて)また戻ってみる、というようなことが行われています。 こういう言葉(モード)の使い分けが、その場の進行に役立ったり、子どもから何かを引き出しているかもしれないですね。

 みんながみんな発言するというところで、自分の意見を言えなかった子供が、この次にはこれをきっかけにこう言いましたとか、そういうつながりが見えてくるととても面白いんですよね。

◆ 教育、発達、子育て。「ゆるやかな決まり」がつくる場所。

菅野:心理学の立場から(幼児)教育を考えている人で、ヴィゴツキーという学者がいるんですが、彼の「スキャフォールディング(Scaffolding、足場作り)」というメタファーを、今日見学しながら思い出していました。

 「足場作り」とは、大人の方で決まりきったスケジュールがあり、その通りにやらせる、というのではなく、その子どもが今どういう状態にいるのかということを見極めて、それで一番いい環境を与えてあげること。 子どもが自分でできるところについてはあまり手助けはせず、子どものできないことを補い、子どもの発達を手助けする、というものなんです。

──いま教育方面では「まなび」という言い方を積極的にしていくじゃないですか。 教育、教えるという側よりも、つかみ取っていく、受ける側主体の考えが流行していますね。

発表会風景2

菅野:このワークショップは、子どもが主体となっている一方で、ある種すごくしっかりとした――場所はあるし時間も限られているし、全体進行スケジュールが決まっていますよね。 十時半から十一時まではこのプログラムをやって、最後の日に発表会があるから、その中で衣裳はここで着るためにここで準備して、というように。

 だから、ゆるやかな決まりというか、そういったものがあった方がしっくりくる現場もあると思うんですよ。 教育というのも、発達というのも、子育てというのもそう。 ゆるやかな決まり(決まりという言葉が最適であるとは思いませんが、ここでいう決まりは子どもの発達ということを考える上での大枠,譲れない一線みたいなものとして使っています)があって、その他のことは子ども主導できまっていくものだと思います。

 子育てをされている多くのお父さんやお母さんは、子どもの様子を見ながら柔軟に対応されていると思うんですよ。 例えば寝るということに関しても「この子はお母さんのコートに包まれていると寝つきがよい」とか、「お母さんの身体のどこかを触っているといいとか」というのがあるんですよね。

 このワークショップもある程度のスケジュールは決まっていると思うんですけど、その場の子どもの雰囲気で内容は変更されますよね?決まりを維持するのは、まったくの子ども主導ではなく、大人が子どもの様子を見ながらということがあるように思います。

──結果ありきの場所でない、ということが重要だと思っています。

菅野:この場所では、結果だけを求めて(見て判断して)しまうのではもったいないと思う。 無理やりやろうと思えば「使用前」「使用後」でどう変化したか、というのと同じ方法で分析ができると思いますけれど、それじゃあねぇ。 この現場は、全く数字での分析に向かないところだと思います。

◆ 毎日子どもたちは、ここでいっぱい学んでる。

──以前、プレイセラピーやアートセラピーと僕らの活動を結びつけることに、違和感がある、と菅野さんにお話いただいたことがありましたね。

菅野:このワークショップでは、セラピーを目的としてないでしょう。 だから、とても面白いんだと思いますよ。

──このワークショップの「効果」「目的」に話が向かうと、セラピーなのか、ということになってしまうんです。 みんな求めるわけですよね。 確かに、現場ではセラピーの結果に近いことも、起こったりするわけですよ。 ふだん学校に行けなかったような子どもが、ワークショップを経て、行けるようになったりするもんだから…。

菅野:それはすごくよくわかりますよ。 だけど「目的」じゃないところがいいんですよね。 「治そう」と思ったら、治らないかもしれない。

──はい。 治せないですよ、それは(笑)。

菅野:たぶんセラピーと全く違う経過だから、回復できるという部分もあるのでしょうが、それは本当に二次的なものだと思う。 それを「結果」として語るかどうかが問題ですよね。 いったんそういってしまうと、その部分ばかりみられてしまい、イメージが違ってくるかもしれないですね。

──こちら側が二次的なものだと意識していても、そういうふうに見られちゃう。 他の人に話をすると「ああ稽古やってるんだ」といわれるか「自己啓発やってんのか」のどちらか。 どっちでもないんですが。

菅野:この現場は「緩やかな教育(学習)の場」という言葉が、私には一番しっくりくる気がします。 ワークショップに参加している子どもたちの「発達」の一部分が垣間見られる場所、ということです。 人の一生の中でというような、大きな意味でもそうだし、また小さな部分でも「自分がこうすると相手にこう思われるんだ」というようなことを、毎日いっぱい学んでいるんだと思います。 ひとつの、学びの場というふうにとらえていった方がいいのかなと思います。

(参考)「社団法人日本芸能実演家団体協議会(芸団協)」http://www.geidankyo.or.jp

2003年3月16日、東京・三軒茶屋にて
聞き手:柏木 陽(演劇百貨店店長)、小川智紀(同番頭)

2003/04/10