店長が行く!第5回
「劇場を溜まり場に、学校に風穴を」

松井憲太郎さん(世田谷パブリックシアター)×柏木陽(NPO法人演劇百貨店代表)

松井憲太郎さん写真

 私たち演劇百貨店は、東京の世田谷パブリックシアターで行われた「中学生のためのワークショップ」という企画から立ち上がったものです。 そもそもこの誕生に関わったのは、二人です。 一人は、演劇百貨店の創業者・如月小春(故人)。 もう一人は、世田谷パブリックシアターで学芸部門の統括をしている松井憲太郎さん。 劇団黒テントを経て劇場スタッフとなった松井さんは、子どものための場所をどのようにイメージし、作り上げてきたのでしょう。

◆ 演劇にリアリティーを発見した少年時代

──松井さんの子ども時代は、どんな場所で遊んでいたんですか。

松井:生まれてからずっと東京の郊外で育ちました。 近所には丘みたいなものがあって、そういうところで遊んでたよ。 雑木林もたくさん残ってた。 今は全部宅地化しちゃったけれどね。 とにかく当時は田舎っぽいところだったから、遊びにしても何にしても、やることは野蛮というか、全体的に荒っぽかったよ。 小学校はそんなだけれど、中学はドロップアウトしちゃったんだ。

──え? 学校がつまんなかったんですか。

松井:やめろと言われたんだよ(笑) あの時代って学生運動の隆盛期だったから、運動やってる高校生に引きずられて、中学生だった自分も手伝ったりして。 特に悪事が露見したわけじゃないから、退学にする理由がなかったはずなんだけど、中学三年になって「あなた、この学校向いてないよ。やめた方がいいんじゃないかな」って先生に言われた(笑)

──演劇と出会ったのは、いつごろでしたか。

松井:高校の時は、一応演劇部。 熱心に稽古するというような勤勉さがまるでない人だから、ときどき行ってエラそうなことを言う程度だったけど。 ほら、演劇っていうのは頭の中で考えるだけじゃなくて、肉体を使ってやる行為でしょう。 そういうものに魅かれていったんだろうね。

 どういうことかというと、小学校に上がるちょっと手前にオリンピックがあり、東京の近郊が変わったんだよね。 高度成長期で、畑や雑木林は掘り返され、団地が立つ。 今見ると三階建てのちんまりした団地なんだけど、当時はものすごい建物が現れた、世の中変わったな、と子ども心に感じたんだよ。 単純に言えば、地域が持っている自然や風土みたいなものに結びついた自分の生活が失われていく、ある種のリアリティーがなくなっていく感じ。 ガキながらも「生の実感」が、別のものに変質していくようで。

 僕は地に根付いた生活実感がない家庭環境だったし、中学でも良家のお坊ちゃんみたいなのが集まって受験勉強や学生運動だとか… すごくリアリティーがない世界で生きているといつも思ってた。 その中で演劇は一番「切れば血が出る」感覚が息づくものだと感じたんだ。

◆ 子どもたちの居場所を確保したかった

──現在は世田谷パブリックシアターで演劇作品などの制作を取りまとめる立場の松井さんから見て、劇場の教育普及事業の走り出しはどうのように見えましたか。

松井:劇場がオープンして最初に目立ったのは、やっぱり華やかな芝居でしょう。 それとは別のコンセプトで、さまざまな教育普及活動をスタートさせたいと思っていたんだけど、ワークショップの参加者を募集したら「華やかな演劇」に反応して来た人が大勢集まっちゃったんだよね。 だから、こっちが最初にイメージしていたワークショップとズレてきた。

 もともと、ワークショップを劇場の中でやる意味を、普段だったら劇場なんかに足を運ばない人が演劇に触れ合う場所をつくるということと、劇場が地域社会につながるためのツールとして機能させる、という点で考えていました。 だけど、漫然とワークショップをやっている限りは、そういうところとすれ違うんだね。 漫然とやるだけではないワークショップを作りたいという気持ちはずっとあった。

──四年間続けた「中学生のためのワークショップ」を演劇百貨店の創業者・如月小春が始めたときは、どんな話があったのですか。

松井:彼女は、ワークショップをやっていると子どもたちの悲鳴が聞えると言ってました。 つまり、中学生ぐらいの子どもたちの生活というのは、学校と塾と家庭の三点を移動するだけになっていて、地域社会に触れる機会というのがなくなっている、と。

 何が問題かというと、三点を移動している限り出会えるのは本当の他者でないということ。 地域社会には、おじさんやおばさん、お兄さんお姉さんもいれば、ちょっと変な人たちもいる。 地域には広場があり、いろんなことに出会ったり学んだり、学校では体験できないことに出会っていく。

 そういう広場がない子どもたちというのは、やっぱり苦しいところに追い詰められているんじゃないか。 話は劇場に限らないけど、彼らに救いのアクションを設けるのは大人たちの役目だろう、と。 劇場なんかは、特に「溜まり場」のような機能を果たす必要があるんじゃないか、と言ってました。

──この企画は、如月が一年行ったあと、私(柏木陽)が引き継ぎました。 劇場サイドからみて、成果をどのように判断されますか。

松井:スタッフとして演劇・教育関係の大学生に加わってもらったおかげで、中学生たちにとってもいろんな人と出会う機会になったわけだし、すごく良かった。 発表会の舞台で中学生の子供たちが、自分のその時点での人生の重要な何かというものを凝縮するような形で演技するというか、舞台上で生きることができたことは彼らにとっても貴重だろうし、見る観客側にとってもいいことなんじゃないかな。 演劇はこういうふうに力を持つということ、子供たちにこういう力があるということを見る機会になるわけだから。

 また、劇場にとってもメリットはありました。 全体で集まるのは発表会一日だけだとしても、大学生や中学生の家族のように、お客さんも含めて劇場の中である種の地域社会みたいなものが垣間見える体験ができたのは良かったですね。

◆ 学校に風穴をあけたい

──今「アウトリーチ」という言い方で、学校現場に演劇ワークショップなどを持っていく企画を世田谷パブリックシアターは行っていますが、どこかで教育というコトバと関わらなくちゃいけませんよね。

松井:正直言って、積極的に教育と関係を取ろうという点に本来的な動機があったわけでないのは確か。 公立劇場というのが、地域に根付くためのいろんな手段がある中の一つとして、こちらは学校という対象を選ばせてもらっている、学校というものを選ぶことが可能である、ということ。

 だから、その活動自体が本当にいいのか悪いのか、まだ分からないね。 学校側も、はっきり言って何が何だかわからない状態なんだよね、今。 他の人はともかく俺なんかは、教育という側面から演劇をどう考えるかということは、あまり考えないようにしようと思っている。 「劇場としてできること」をとりあえず学校側に相談して、相手がどう反応するのか観察しながら調整している段階で、いろいろまだ模索しながらやっていくのかな、と。

──世田谷パブリックシアターの教育普及活動を貫く考え方は、どんなものですか。

松井:芸術至上主義とまで言わないけれど、いい作品を作って「舞台芸術」として、お客さんに作品を楽しんでもらう、という方向性が、これは劇場ですから一方であります。 大まかに言えば「大人向けのお芝居」。 その一方で、青少年や子どもに向けた活動はやっていこう、やらなければいかんだろうなと思っています。

 なぜかというと、結局さっきの如月さんの話に戻るんだけれど、若い人たちはいろんなメディアを通じてモノを見ている。 でも、だいたい演劇のような「ナマモノ」じゃないんだよね。

 それから、子どもたちを取り巻く価値観は多様に見えるけど、自分の人生に影響を与えるようなものに対しては、結果的には画一的な選択肢しか与えられない状況があるんじゃないかな。 世の中にはいろんな生き方があるんですよ、ということ。 つまり、多様性を感じられる方向性があってもいい。 それは学校での活動も含めた青少年向けの教育普及活動に対する俺のイメージだし、テーマ。 だから学校へ行く時も、ある意味、風穴を開けたいと思ってます。

──子どもたちに対して、画一化した考え方しか手渡せないんだとしたら「危なくないものを渡そう」と考えているからですよね。 当然、人生を決めるような何かが目の前に迫ってきたらそれは危ないものに決まってる。 そういう危ないものこそ学校の中にあった方がいいのかもしれない、本当は。 松井さんが中学生だったころに、もし僕らと出会っていたら…。

松井:ま、子どもの頃の俺には何いってもダメだったかもしれないけど(笑) 正直な実感としては、自分が子どもの頃、劇場でワークショップみたいなものがあったとしたら、小さなことで悩んでいる状況なんか相対化されちゃっただろうね。 世田谷限定かもしれないけれど、今の子どもたちは幸せだよ。 少なくとも、機会は広がってるんじゃないかという気がするんだけど。

2003年6月25日、東京・王子にて
聞き手:柏木 陽(演劇百貨店店長)、小川智紀(同番頭)

2003/07/10