「演劇百貨店、スタート!」

柏木 陽(演劇百貨店代表)

柏木陽

◆ 演劇百貨店・店長の柏木 陽と申します。

初めまして、柏木です。 演劇百貨店の店長を務めます。 演劇百貨店といっても何の事やら分からない人もいるかもしれません。 演劇百貨店は私を中心に、子どもたちやさまざまな地域の人々と演劇のワークショップを行う集団です。

私・柏木は演劇を作っています。 演劇との出会いは高校生の時でした。 高校の演劇部に入った私は、やがてもっと深みを知りたくなり、桐朋学園の演劇科に入学します。 専門俳優を育成することをうたったこの学校には様々な専門を持った教授・講師の方がいました。 その中の一人に、演出家・劇作家の如月小春がいました。

如月の授業は私の目を開かせていきました。 言っていることを素直に納得できる人のうちの一人でした。 いつしかこの人の活動に関わりたいと思うようになっていきました。 そして桐朋学園を出て、しばらくして第一回アジア女性演劇会議を手伝いにいくことになります。 この如月たちが独力に近い形で開いた国際会議が、私に大きなインパクトを残しました。

世界には、さまざまな人がいること。 さまざまな状況の国があること。 いろいろな演劇があること。 頭の中だけのことだったこれらのことが、参加者の人一人一人の顔と名前、声を通じて私の体の中に刻まれていきました。 如月の活動にますます飲み込まれる中で、別世界のように繰り広げられる演劇に出会ったのです。 それが今も続く兵庫県立こどもの館での演劇ワークショップでした。

普段私たちが「演劇とは」「芸術とは」何て力こぶを作って話しているようなことが、実に軽やかに実現されているように感じられました。 何よりもその根っこに触れているような気がしました。 「演劇」というものの根っこ。 「表現」というものの根っこ。 「人と人が触れ合う」ということの根っこ。

最初は右も左も分からず、中学生や高校生の名前を覚え、朝の挨拶を交わし、真夏の姫路を声を枯らして叫び、汗だくになって走り回っていただけです。 そんな中で、その子が何をしたいのか、どうしたら彼はもっと面白そうな顔をしてくれるかを考え、 あの子があんなことをした、あの子はあそこが上手くいかない、今日あいつが話しかけてくれた、と喜びや悩みを地元の人たちと分かち合ううちに次第に身に付いていった感覚がありました。

その感覚は様々な場所で様々な人達と出会い、ワークショップと呼ばれる時間と空間を共有するうちに少しずつ強くなっていったように感じます。

◆ 演劇百貨店はね、何でも取り揃えているんだよ。

やがて世田谷パブリックシアターで中学生のための演劇ワークショップが開かれました。 ワークショップの名前は「演劇百貨店」。 命名は、如月です。

「演劇百貨店」について、彼女は嬉しそうに話してくれました。 誰でも入ってきて良いんだよ。 何から手にとっても良いんだ。 何を買うのも、買わないのも自由なんだ。 それは持って帰れるんだ。 ありとあらゆる物を取り揃えているんだよ。 昔、私たちが百貨店・デパートと呼ばれるところに行ったときに感じた高揚感、喜び、楽しみ、そんなものをここで実現しよう。 そんな願いと覚悟が込められている名前です。

世田谷パブリックシアターのワークショップが、一年目を無事に終え、二年目に入ろうかという矢先、如月が他界しました。 中止にすることも考えられず、替わりの指導者を捜す時間もありませんでした。 私が代わって引き受けました。

何とか無事にその年のワークショップを終え、二年目三年目と年を重ねています。 姫路のワークショップも私が引き受けさせてもらいました。

少しずついろいろなところからワークショップのお話しをいただくようになりました。 今まで以上にお話しをさせていただく人が増えました。 その中で今までの立場では見えなかったことが少しずつ見えてくるようになりました。 私が感じ、考えたことをもっと多くの人達と共有したい、その方法、スタンスのようなものを表す一番のことばは「演劇百貨店」でした。

そして私は、集団として「演劇百貨店」を立ち上げることにしました。 原点は十年前にたくさんのアジアの女性演劇人が話してくれたこと、暑い熱い姫路の地で出会った中学生たち。 まだ私があの姫路の夜に何を考え何を感じていたのか、そこで身に付いた感覚が何なのか、明確な言葉にすることができません。

しかしそれはとても大事なことだと思うのです。

◆ 演劇を、教育を、繰り返し考え実践する場所を。

話は変わりますが、先日、北海道の富良野に行ってきました。 奇妙な縁でつながった友人・作業療法士の川口淳一さんを訪ねたのです。 彼は「介護老人保健施設ふらの」で演劇リハビリテーションをして注目を集めています。 その現場を見て、体感したことは大変な衝撃でした。

何に衝撃を受けたかというと、彼が営む日常でした。 彼は作業療法士です。

毎日リハビリをします。 その中に演劇の素みたいな物がちりばめられていました。 「演劇リハビリテーション」としてやってきたことが日々の実践として実を結んでいました。

富良野のお年寄りは毎日伸びない膝を伸ばし、足首に2kgの重りをつけて足を振り上げる運動をしています。 毎日10回10セット。 まだ若い私でもちょっとへばってしまうような回数を続けてやっと実を結ぶ何かがある。 それを見つめる視線がある。 ある意味で必死の作業、ともすれば単調な運動を、ほがらかに鼓舞し支え続けようとする力がある。 お年寄りから力を貰い、その力をお年寄りたちに返していく。

非常に羨ましく思いました。 毎日繰り返し考え、実践する場がある。 ある一部分だけ取り出して考えることと、それを日々の中にどう組み込んでいくかの実践がある。 現場を持っている強味、凄味を味わいました。 自分たちもこういった場を持たなくてはいけないと感じました。

もちろん彼がやっているような形にはならないでしょう。 演劇教育、ワークショップというものは、今はまだ曖昧な存在です。 一過性のブームのように捉えられている部分もあります。 しかし、長く続けていくことが必要なのだと思います。

兵庫県立こどもの館での実践は、12回を数えます。 最初は、中学生が参加する催しだったものが、やがて高校生が入り、大学生が仲間になり、いまは地域の人々が集まって、総勢50人近い人々で一夏の芝居を作るイベントにまでなりました。 歩みはとても遅いかもしれませんが、十二年という月日が、促成栽培では育たない足場を作ってくれているような気がします。 それも、続けなければなくなってしまうわけです。

◆ 演劇百貨店のちいさな船出。一緒に作りましょう。

私たちが実践の場を作り続けるための形を示す必要があると思い、2003年4月にNPO法人化することにしました。 さまざまな考えや想いを実際に形にしていく場を模索した結果、この形にたどり着きました。 不格好かもしれません。 それでも、とりあえず漕ぎ出してみようと思います。

どうか一緒に考えて欲しいのです。 どういう活動が良いのか、どういうことができるのか、この集団のことを考えることが子どもたちのことを、教育のことを考えるきっかけになってくれればと思います。 子どもたちの教育を考えることは、未来を考えることだと思います。 そして教育や学習は、大きくなり老いていく大人にも必要なものだと思います。

もう一つ。 芸術のことを考えるきっかけになればと思います。 それはこの国の文化のことを考えることになると思います。 特別むずかしく考える必要はないでしょう。 どんな物が見たいか?  どんなことを心地イイと感じるのか?  どんな物を見せたいか?  どんな事が楽しかったか?  それを口に出したり、人に伝えたり、一つのことを一緒になって行うと「芸術」につながっていくのではないでしょうか。

「演劇百貨店」がそんな場所になるといいなぁ、と思っています。

最初は小さい小さい船出です。 本当に少人数で運営しています。 手が回らないこともあります。 ぜひぜひ応援してください。 最初のうちは、このメールマガジンとウェブページが最大にして唯一の、自分たちの活動を伝える手段です。 一人でも多くの人に私たちを知ってもらいたいと思います。 このメールマガジンとウェブページでさまざまな情報をお知らせしていこうと思っています。 いろいろ企画も考えています。

ご意見を聞かせて下さい。 一緒に作り出していきましょう。

(参考)「介護老人保健施設ふらの」http://www.h3.dion.ne.jp/~rouken-f/